逐节对照
- リビングバイブル - 同行者には、祭司、レビ人、聖歌隊員、門衛、神殿奉仕者などのほか、一般人も大ぜい含まれていました。一行は、アルタシャスタ王の第七年、第一の月にバビロンを発ち、その年の第五の月にはエルサレムに着きました。主が旅の間も彼を守っていたからです。
- 新标点和合本 - 亚达薛西王第七年,以色列人、祭司、利未人、歌唱的、守门的、尼提宁,有上耶路撒冷的。
- 和合本2010(上帝版-简体) - 亚达薛西王第七年,有些以色列人、一些祭司、利未人、歌唱的、门口的守卫、殿役,上耶路撒冷去。
- 和合本2010(神版-简体) - 亚达薛西王第七年,有些以色列人、一些祭司、利未人、歌唱的、门口的守卫、殿役,上耶路撒冷去。
- 当代译本 - 亚达薛西王第七年,一些以色列人、祭司、利未人、歌乐手、殿门守卫和殿役来到耶路撒冷。
- 圣经新译本 - 在亚达薛西王第七年,一些以色列人和一些祭司、利未人、歌唱的、守门的和作殿役的,和他一起上耶路撒冷去。
- 中文标准译本 - 这样,在亚达薛西王第七年,一些以色列子孙、祭司、利未人、歌手、门卫和圣殿仆役,上耶路撒冷去。
- 现代标点和合本 - 亚达薛西王第七年,以色列人、祭司、利未人、歌唱的、守门的、尼提宁,有上耶路撒冷的。
- 和合本(拼音版) - 亚达薛西王第七年,以色列人、祭司、利未人、歌唱的、守门的、尼提宁,有上耶路撒冷的。
- New International Version - Some of the Israelites, including priests, Levites, musicians, gatekeepers and temple servants, also came up to Jerusalem in the seventh year of King Artaxerxes.
- New International Reader's Version - Some of the Israelites came up to Jerusalem too. They included priests, Levites and musicians. They also included the temple servants and those who guarded the temple gates. It was in the seventh year that Artaxerxes was king.
- English Standard Version - And there went up also to Jerusalem, in the seventh year of Artaxerxes the king, some of the people of Israel, and some of the priests and Levites, the singers and gatekeepers, and the temple servants.
- New Living Translation - Some of the people of Israel, as well as some of the priests, Levites, singers, gatekeepers, and Temple servants, traveled up to Jerusalem with him in the seventh year of King Artaxerxes’ reign.
- Christian Standard Bible - Some of the Israelites, priests, Levites, singers, gatekeepers, and temple servants accompanied him to Jerusalem in the seventh year of King Artaxerxes.
- New American Standard Bible - Some of the sons of Israel and some of the priests, the Levites, the singers, the gatekeepers, and the temple servants went up to Jerusalem in the seventh year of King Artaxerxes.
- New King James Version - Some of the children of Israel, the priests, the Levites, the singers, the gatekeepers, and the Nethinim came up to Jerusalem in the seventh year of King Artaxerxes.
- Amplified Bible - Some of the sons of Israel, with some of the priests and Levites, the singers and gatekeepers, and the temple servants also went up [from Babylon] to Jerusalem in the seventh year of King Artaxerxes.
- American Standard Version - And there went up some of the children of Israel, and of the priests, and the Levites, and the singers, and the porters, and the Nethinim, unto Jerusalem, in the seventh year of Artaxerxes the king.
- King James Version - And there went up some of the children of Israel, and of the priests, and the Levites, and the singers, and the porters, and the Nethinims, unto Jerusalem, in the seventh year of Artaxerxes the king.
- New English Translation - In the seventh year of King Artaxerxes, Ezra brought up to Jerusalem some of the Israelites and some of the priests, the Levites, the attendants, the gatekeepers, and the temple servants.
- World English Bible - Some of the children of Israel, including some of the priests, the Levites, the singers, the gatekeepers, and the temple servants went up to Jerusalem in the seventh year of Artaxerxes the king.
- 新標點和合本 - 亞達薛西王第七年,以色列人、祭司、利未人、歌唱的、守門的、尼提寧,有上耶路撒冷的。
- 和合本2010(上帝版-繁體) - 亞達薛西王第七年,有些以色列人、一些祭司、利未人、歌唱的、門口的守衛、殿役,上耶路撒冷去。
- 和合本2010(神版-繁體) - 亞達薛西王第七年,有些以色列人、一些祭司、利未人、歌唱的、門口的守衛、殿役,上耶路撒冷去。
- 當代譯本 - 亞達薛西王第七年,一些以色列人、祭司、利未人、歌樂手、殿門守衛和殿役來到耶路撒冷。
- 聖經新譯本 - 在亞達薛西王第七年,一些以色列人和一些祭司、利未人、歌唱的、守門的和作殿役的,和他一起上耶路撒冷去。
- 呂振中譯本 - 亞達薛西 王七年、 以色列 人之中、祭司、 利未 人、歌唱的、守門的、當殿役的——之中、有的上了 耶路撒冷 。
- 中文標準譯本 - 這樣,在亞達薛西王第七年,一些以色列子孫、祭司、利未人、歌手、門衛和聖殿僕役,上耶路撒冷去。
- 現代標點和合本 - 亞達薛西王第七年,以色列人、祭司、利未人、歌唱的、守門的、尼提寧,有上耶路撒冷的。
- 文理和合譯本 - 亞達薛西王七年、以色列族、祭司利未人、謳歌者、司閽者、尼提甯人、各有其人、上耶路撒冷、
- 施約瑟淺文理新舊約聖經 - 亞達薛西 王七年、有 以色列 人、祭司、 利未 人、謳歌者、守門者、為殿役者、 咸從之 往 耶路撒冷 、是年五月至 耶路撒冷 、
- Nueva Versión Internacional - Con Esdras regresaron a Jerusalén algunos israelitas, entre los cuales había sacerdotes, levitas, cantores, porteros y servidores del templo. Esto sucedió en el séptimo año del reinado de Artajerjes.
- 현대인의 성경 - 에스라는 아르타크셀크세스황제 7년에 제사장, 레위인, 성가대원, 그리고 성전 문지기와 봉사자를 포함한 다른 이스라엘 사람들과 함께 예루살렘으로 올라왔는데
- Новый Русский Перевод - Некоторые из израильтян и некоторые из священников, левитов, певцов, привратников и храмовых слуг также пришли в Иерусалим в седьмом году правления царя Артаксеркса.
- Восточный перевод - Некоторые из исраильтян и некоторые из священнослужителей, левитов, певцов, привратников и храмовых слуг также пришли в Иерусалим в седьмом году правления царя Артаксеркса.
- Восточный перевод, версия с «Аллахом» - Некоторые из исраильтян и некоторые из священнослужителей, левитов, певцов, привратников и храмовых слуг также пришли в Иерусалим в седьмом году правления царя Артаксеркса.
- Восточный перевод, версия для Таджикистана - Некоторые из исроильтян и некоторые из священнослужителей, левитов, певцов, привратников и храмовых слуг также пришли в Иерусалим в седьмом году правления царя Артаксеркса.
- La Bible du Semeur 2015 - La septième année du règne d’Artaxerxès, un certain nombre d’Israélites : des prêtres et des lévites, des musiciens, des portiers et des desservants du Temple partirent pour Jérusalem.
- Nova Versão Internacional - Alguns dos israelitas, inclusive sacerdotes, levitas, cantores, porteiros e servidores do templo, também foram para Jerusalém no sétimo ano do reinado de Artaxerxes.
- Hoffnung für alle - Im 7. Regierungsjahr von König Artaxerxes zogen viele Israeliten mit Esra nach Jerusalem, darunter Priester und Leviten, Sänger, Torwächter und Tempeldiener.
- Kinh Thánh Hiện Đại - Vào năm thứ bảy đời vua Ạt-ta-xét-xe, ông hồi hương cùng một số thường dân Ít-ra-ên, một số thầy tế lễ, người Lê-vi, ca sĩ, người gác cổng và người phục dịch Đền Thờ.
- พระคริสตธรรมคัมภีร์ไทย ฉบับอมตธรรมร่วมสมัย - ชาวอิสราเอลบางคนรวมทั้งปุโรหิต คนเลวี นักร้อง ยามเฝ้าประตู และผู้ช่วยงานในพระวิหารร่วมเดินทางมายังเยรูซาเล็มในปีที่เจ็ดแห่งรัชกาลกษัตริย์อารทาเซอร์ซีสด้วย
- พระคัมภีร์ ฉบับแปลใหม่ - และประชาชนของอิสราเอลบางคน ปุโรหิตและชาวเลวีบางคน พวกนักร้องและคนเฝ้าประตู และพวกผู้รับใช้พระวิหาร ต่างก็ขึ้นไปยังเยรูซาเล็ม ในปีที่เจ็ดของกษัตริย์อาร์ทาเซอร์ซีส
交叉引用
- エズラ記 7:11 - 主のおきてと戒めを学んでいる祭司エズラに、アルタシャスタ王は次のような手紙を送りました。
- エズラ記 7:12 - 「王の王アルタシャスタから、祭司であり、天の神の律法の教師であるエズラへ。
- 歴代誌Ⅰ 25:1 - ダビデと神殿の責任者たちは、琴と竪琴とシンバルの伴奏で預言する者を、アサフ、ヘマン、エドトンの各グループから選びました。その名と役割は次のとおり。
- 歴代誌Ⅰ 25:2 - 王の側近の預言者アサフの指揮下に置かれたのは、彼の子ザクル、ヨセフ、ネタヌヤ、アサルエラ。
- 歴代誌Ⅰ 25:3 - 琴の伴奏で主を賛美する責任者エドトンの指揮下に置かれたのは、彼の六人の子ゲダルヤ、ツェリ、エシャヤ、シムイ、ハシャブヤ、マティテヤ。
- 歴代誌Ⅰ 25:4 - 王の側近の祭司ヘマンの指揮下に置かれたのは、彼の子ブキヤ、マタヌヤ、ウジエル、シェブエル、エリモテ、ハナヌヤ、ハナニ、エリヤタ、ギダルティ、ロマムティ・エゼル、ヨシュベカシャ、マロティ、ホティル、マハジオテ。神はヘマンに、この十四人の息子のほかに三人の娘を与えました。
- 歴代誌Ⅰ 25:6 - 彼らの務めは、シンバルや竪琴や琴の伴奏で歌って主に仕えることでした。彼らの神殿での奉仕は、王と彼らの父の指導のもとでなされました。彼らとその家族はみな、主にささげる賛美の訓練を受け、全部で二百八十八人になる彼らの一人一人が音楽の達人でした。
- 歴代誌Ⅰ 25:8 - これらの合唱隊員は、年齢や評判に関係なく、くじで決めてそれぞれ務めにつきました。
- ネヘミヤ 記 2:1 - それから四か月ほどたった第七の月のある日、私が王にぶどう酒をついでいると、王が私に話しかけました。「浮かない顔をしているが、具合でも悪いのか。何か大きな悩みでもあるのか。」 私はその時まで、王の前ではいつも明るく振る舞うようにしていました。私はとても怖くなりましたが、こう答えました。
- ネヘミヤ 記 7:46 - 神殿奉仕者のツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、ケロス族、シア族、パドン族、レバナ族、ハガバ族、サルマイ族、ハナン族、ギデル族、ガハル族、レアヤ族、レツィン族、ネコダ族、ガザム族、ウザ族、パセアハ族、ベサイ族、メウニム族、ネフィシェシム族、バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、バツリテ族、メヒダ族、ハルシャ族、バルコス族、シセラ族、テマフ族、ネツィアハ族、ハティファ族。
- ネヘミヤ 記 7:57 - ソロモンの家臣の子孫―― ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、ヤアラ族、ダルコン族、ギデル族、シェファテヤ族、ハティル族、ポケレテ・ハツェバイム族、アモン族、
- ネヘミヤ 記 7:60 - 神殿奉仕者とソロモンの家臣の子孫の合計は、三百九十二名です。」
- ネヘミヤ 記 7:61 - ペルシヤの諸都市、テル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルなどから引き揚げて来た人々もいましたが、系図をなくしていて、ユダヤ人であることを証明できませんでした。
- ネヘミヤ 記 7:62 - それは、デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族の六百四十二名の人々です。
- ネヘミヤ 記 7:63 - 祭司の中にも、系図を紛失した人々がいました。ホバヤ族、コツ族、バルジライ族などです。このうちバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘婿となり、その姓を名乗っていました。この人々は、正真正銘の祭司かどうか、ウリムとトンミム(神意を伺う一種のくじ)によって神の判断を仰ぐまでは祭司の務めに就くこともできず、祭司の食糧として保証されている、供え物の分配にもあずかることができませんでした。
- ネヘミヤ 記 7:66 - この時期にユダに帰った人々の総数は四万二千三百六十名に上ります。
- ネヘミヤ 記 7:67 - その他、奴隷が七千三百三十七名、男女の聖歌隊員が二百四十五名いました。
- ネヘミヤ 記 7:68 - 馬七百三十六頭、らば二百四十五頭、らくだ四百三十五頭、ろば六千七百二十頭もいっしょでした。
- ネヘミヤ 記 7:69 - 諸族の指導者の中にも、工事のためにささげ物をする人がいました。総督は、金八・五キログラム、金の器五十点、祭司の服五百三十着を、ほかの指導者たちは、金百七十キログラム、銀一千二百五十四キログラムを、
- ネヘミヤ 記 7:71 - 一般市民は、金百七十キログラム、銀千百四十キログラム、祭司の服六十七着を、それぞれささげました。
- ネヘミヤ 記 7:72 - 祭司、レビ人、門衛、聖歌隊員、神殿奉仕者、その他の人々は、ユダの自分たちの故郷の町や村へと帰って行きましたが、第七の月には、みなエルサレムに戻って来ました。
- 歴代誌Ⅰ 9:17 - 門衛はみなレビ人で、その長のシャルムはじめ、アクブ、タルモン、アヒマンがいました。シャルムは今でも東方にある王の門を守っています。
- 歴代誌Ⅰ 9:19 - シャルムの家系は、順次さかのぼってコレ、エブヤサフ、コラに至ります。彼と親族のコラ人は、いけにえをささげる仕事や、先祖が幕屋の管理と警備に当たっていたように、聖所を守る務めにつきました。
- 歴代誌Ⅰ 9:20 - かつてはエルアザルの子ピネハスが、この務めの長でした。主はピネハスとともにいました。
- 歴代誌Ⅰ 9:21 - 当時、メシェレムヤの子ゼカリヤが、幕屋の入口の警備についていました。
- 歴代誌Ⅰ 9:22 - この時、門衛として選ばれた人々は二百十二人です。この人々は、系図をもとに村々から選び出され、誠実さを買われて、ダビデとサムエルによって任命されたのです。
- 歴代誌Ⅰ 9:23 - 彼らとその子孫は、幕屋の管理と警備のため、東西南北の四方に門衛が立ちました。
- 歴代誌Ⅰ 9:25 - 彼らの村の同族の者たちが、一週間交替でそれぞれの仕事に当たりました。
- 歴代誌Ⅰ 9:26 - 四人の門衛の長はみなレビ人で、神の宮にある特別な部屋や宝物倉を管理するという、特に重要な任務を与えられました。
- 歴代誌Ⅰ 9:27 - そのため、彼らは宮の近くに住み、毎朝、門を開けました。
- エズラ記 7:24 - 祭司、レビ人、聖歌隊員、門衛、神殿奉仕者、そのほか神殿で働く者には税金を課してはならない。』
- エズラ記 6:14 - ユダヤ人指導者たちは預言者ハガイやゼカリヤの語ることばに大いに励まされて工事を続けました。神の命令と、ペルシヤ王クロス、ダリヨス、アルタシャスタの布告どおり、ついに神殿が完成しました。
- エズラ記 2:40 - 帰還したレビ人は以下のとおり。 ホダブヤ氏族の、ヨシュアとカデミエルの二族、七四名。 聖歌隊員のアサフ氏族、一二八名。 門衛のシャルム氏族、アテル氏族、タルモン氏族、アクブ氏族、ハティタ氏族、ショバイ氏族、合計一三九名。
- エズラ記 2:43 - 以下は神殿奉仕者。 ツィハ氏族、ハスファ氏族、タバオテ氏族、ケロス氏族、シアハ氏族、パドン氏族、レバナ氏族、ハガバ氏族、アクブ氏族、ハガブ氏族、サルマイ氏族、ハナン氏族、ギデル氏族、ガハル氏族、レアヤ氏族、レツィン氏族、ネコダ氏族、ガザム氏族、ウザ氏族、パセアハ氏族、ベサイ氏族、アスナ氏族、メウニム氏族、ネフシム氏族、バクブク氏族、ハクファ氏族、ハルフル氏族、バツルテ氏族、メヒダ氏族、ハルシャ氏族、バルコス氏族、シセラ氏族、テマフ氏族、ネツィアハ氏族、ハティファ氏族。
- エズラ記 2:55 - ソロモン王臣下の家系の人々は次のとおり。 ソタイ氏族、ソフェレテ氏族、ペルダ氏族、ヤラ氏族、ダルコン氏族、ギデル氏族、シェファテヤ氏族、ハティル氏族、ポケレテ・ハツェバイム氏族、アミ氏族。
- エズラ記 2:58 - 神殿奉仕者とソロモン王臣下の家系の者は、合計三九二名。
- エズラ記 2:59 - 時を同じくして、ペルシヤのテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルなどからも、エルサレムに帰った人々がいました。ところが、系図をなくしてしまっていたので、彼らが生粋のイスラエル人かどうかは明らかではありませんでした。
- エズラ記 2:60 - その数は、デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族など、総勢六五二名。
- エズラ記 2:61 - 祭司の氏族のうち、ホバヤ氏族、コツ氏族、バルジライ氏族〔ギルアデ人バルジライの娘を妻に迎えたことから、この名で呼ばれた〕も帰還しましたが、
- エズラ記 2:62 - この人々も系図を紛失していたので、祭司職を差し止められました。それで、ウリムとトンミム(神意を伺う一種のくじ)で調べ、実際に祭司の子孫かどうかが判明するまでは、いけにえのうち祭司の食糧となる分も与えられませんでした。
- エズラ記 2:64 - こうして、総勢四万二、三六〇名がユダへ帰りました。このほか、男女の奴隷七、三三七名と、男女の聖歌隊員二〇〇名もいっしょでした。
- エズラ記 2:66 - また、馬七三六頭、らば二四五頭、らくだ四三五頭、ろば六、七二〇頭もいました。
- エズラ記 2:68 - 指導者たちは神殿再建のため、率先してささげ物をささげました。
- エズラ記 2:69 - それぞれの力に応じてささげられた金品は、金六万一千ダリク(五一八キログラム)、銀五千ミナ(二、八五〇キログラム)、祭司の長服百着でした。
- エズラ記 2:70 - このようにして、祭司やレビ人をはじめ一部の民はエルサレムおよび周辺の村々に住みつき、歌い手、門衛、神殿奉仕者たちは、ほかの人々とともに故郷の町へと帰って行ったのです。
- 歴代誌Ⅰ 6:31 - ダビデは契約の箱を神の天幕に納めたのち、そこで神を賛美する合唱隊の指揮者を任命しました。
- 歴代誌Ⅰ 6:32 - ソロモン王がエルサレムに神殿を建てるまで、合唱隊は幕屋で勤務していました。
- 歴代誌Ⅰ 6:33 - 次に挙げるのは、合唱隊の指揮者とその家系です。歌手ヘマンはケハテ氏族の出身で、その系図は順次さかのぼると次のとおり。ヨエル、サムエル、エルカナ三世、エロハム、エリエル、トアハ、ツフ、エルカナ二世、マハテ、アマサイ、エルカナ一世、ヨエル、アザルヤ、ゼパニヤ、タハテ、アシル、エブヤサフ、コラ、イツハル、ケハテ、レビ、イスラエル。
- 歴代誌Ⅰ 6:39 - ヘマンの助手は同僚のアサフで、その系図は順次さかのぼると次のとおり。ベレクヤ、シムア、ミカエル、バアセヤ、マルキヤ、エテニ、ゼラフ、アダヤ、エタン、ジマ、シムイ、ヤハテ、ゲルショム、レビ。
- 歴代誌Ⅰ 6:44 - ヘマンの第二助手はメラリ氏族の代表エタンで、ヘマンの左側に立ちました。メラリの家系は順次さかのぼると次のとおりです。キシ、アブディ、マルク、ハシャブヤ、アマツヤ、ヒルキヤ、アムツィ、バニ、シェメル、マフリ、ムシ、メラリ、レビ。
- 歴代誌Ⅰ 6:48 - そのほかのレビ人は、天幕での各種の奉仕に当たりました。
- ネヘミヤ 記 10:28 - 以上の人々は、全国民を代表して署名しました。一般市民も、祭司も、レビ人も、門衛も、聖歌隊員も、神殿奉仕者も、家族も、大人はみな、国内の異教徒と手を切って、神に仕えようと決心していたからです。
- エズラ記 8:1 - アルタシャスタ王の時代に、私とともにバビロンから帰った指導者の名前と家系は次のとおりです。
- エズラ記 8:2 - ピネハスの一族ではゲルショム。イタマルの一族ではダニエル。ダビデの子孫シェカヌヤの一族ではハトシュ。パルオシュの一族ではゼカリヤと、同行の男子百五十名。パハテ・モアブの一族ではゼラヘヤの子エルエホエナイと、同行の男子二百名。ザトの一族ではヤハジエルの子シェカヌヤと、同行の男子三百名。アディンの一族ではヨナタンの子エベデと、同行の男子五十名。エラムの一族ではアタルヤの子エシャヤと、同行の男子七十名。シェファテヤの一族ではミカエルの子ゼバデヤと、同行の男子八十名。ヨアブの一族ではエヒエルの子オバデヤと、同行の男子二百十八名。バニの一族では、ヨシフヤの子シェロミテと、同行の男子百六十名。ベバイの一族ではベバイの子ゼカリヤと、同行の男子二十八名。アズガデの一族ではカタンの子ヨハナンと、同行の男子百十名。アドニカムの一族では帰国が遅れたエリフェレテ、エイエル、シェマヤと、同行の男子六十名。ビグワイの一族ではウタイ、ザクルと、同行の男子七十名。
- エズラ記 8:15 - 私たちはアハワ川に集合し、そこにキャンプを張って三日間過ごしました。その間に、民と祭司の名簿を調べましたが、レビ人は一人も見当たりませんでした。
- エズラ記 8:16 - そこで、指導者のエリエゼル、アリエル、シェマヤ、エルナタン、ヤリブ、エルナタン、ナタン、ゼカリヤ、メシュラムらを呼び集めました。知恵者として定評のあるエホヤリブとエルナタンにも来てもらいました。
- エズラ記 8:17 - そして彼らに、カシフヤにいるユダヤ人指導者イドのもとへ出向いてもらい、イドやその兄弟、また神殿奉仕者たちに、エルサレムの神殿で働く祭司を送ってくれるように頼んだのです。
- エズラ記 8:18 - その結果、神の恵みで、傑出した祭司シェレベヤと、その子や兄弟たち十八名が来ることになりました。シェレベヤは非常に思慮深い人で、レビの子、イスラエル(ヤコブ)の孫に当たるマフリの子孫です。
- エズラ記 8:19 - 神はこのほか、ハシャブヤと、メラリの子孫エシャヤとその子、兄弟を二十名、
- エズラ記 8:20 - また神殿奉仕者二百二十名を遣わしてくださいました。神殿奉仕者とは、ダビデ王が制定した神殿で働く者の階級で、レビ人を補佐するように任命された者です。これら二百二十名は、それぞれ名前が記録に残されています。